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礼拝にようこそ、主がどんなにお喜びくださることでしょう。
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 主は、立ち止まって2人の盲いを憐れみ、彼らの目に触られた。
するとすぐさま、彼らは見えるようになった。
私たち、いや私も盲いであって、どうか、主イエスにより頼み、
願って目を開いて頂けるようにして下さい。
 主イエスの業と力は、本当に本当のことでした。
それは今も変わりありません。
 
 主イエスは、福音を伝えなさいと命じられました。

 私たちは、その福音を伝え、そのことによって人々を救いに導き、そして、わたしたち自身が大きな恵みを手にすることができる。
このことは、真理であって、奥義です。 
 私たち(私)はすでに、キリストを信じることによって、救われ、

新しい命を与えられましたが、更に大きな輝きを得ることが
できるということです。
私の魂は、それを真理であると感じています。
 
 科学は真理をつかみ取ることはできないと思います。
どこまで自然の摂理を解き明かしていこうと、
その奥に立ちはだかる壁を打ち破ることはできないでしょう。
主イエスの真理は、すべてを凌駕するということを、
いずれ、すべての人が知ることになると思います。

 
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 裏切りによって、ついにその時はきた。イエスは大祭司カヤパのもとに
引き出された。祭司長らと全議会は、イエスを死刑にする為に、
偽証を集めようとした。最後に呼ばれた証人がこう言う。 
 「この人は、「わたしは神の神殿を壊して、それを3日のうちに建て直せる。
」と言いました。」 これは、主イエスが十字架につけられ、3日目に
復活する、そのことを意味しているのだが、知るべくもない。
 「人間は、傲慢になると目が見えなくなってしまう。傲慢になると本当に
恐ろしい。」と牧師。たくさんの偽証者、大祭司らのねたみ、
そねみや憎しみの中、主イエスの言葉、「あなたの言うとおりです。
なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、
力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見る
ことになります。」(26:64) 
 彼らは、イエスにつばきをかけ、殴りつけ、また平手で打った。
不信仰者の私は、主イエスの神のみわざに疑問を持ち、傲慢になる。
こんなに生き生きと、希望のうちに自分の力で生きているぞと。
 けれど、このまま傲慢で不信仰で、自尊心に満ち、結果がついて
来れば良いが、世の中、甘くはない。
 夢破れ、倒れた時に、誰が救ってくれるだろう。癒してくれるだろう。
過去の自分を忘れている。喉元すぎれば何とやらだ。
悪い意味で楽天家なのだ
幼い子供を見守るように、私たちの一週間を愛し、守って下さる神様です。神の愛に見習いたいと思わなければ、礼拝出席する意味がありません。神さまの愛を学ばせて頂くことは、クリスチャンの使命です。聖書は命の文です。単なる学問であるなら、パリサイ人と同じになってしまいます。ペテロが神様から与えられた知恵とは、人を愛する知恵でした。
 「どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。」(使 10:35)
 神様に間違ってないよと言ってもらいたい、そのように神を恐れかしこんで暮らしても、間違いだらけの私たち。だから、悔い改めて罪の赦しを請うのです。人なんてろくな心を持っていない、常に正しい心を持った人はそういない。だから、人を恐れる必要などなく、神様を恐れましょう。信仰があるふりをするのは、パリサイ人のことです。クリスチャンは、聖書のみことばを頂いて、そのみことばを一日心に抱いて過ごすのです。
 キリストによってまったく変えられたいと、そう思う人を神様はきっと変えて下さるでしょう。
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