幼い子供を見守るように、私たちの一週間を愛し、守って下さる神様です。神の愛に見習いたいと思わなければ、礼拝出席する意味がありません。神さまの愛を学ばせて頂くことは、クリスチャンの使命です。聖書は命の文です。単なる学問であるなら、パリサイ人と同じになってしまいます。ペテロが神様から与えられた知恵とは、人を愛する知恵でした。
「どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。」(使 10:35)
神様に間違ってないよと言ってもらいたい、そのように神を恐れかしこんで暮らしても、間違いだらけの私たち。だから、悔い改めて罪の赦しを請うのです。人なんてろくな心を持っていない、常に正しい心を持った人はそういない。だから、人を恐れる必要などなく、神様を恐れましょう。信仰があるふりをするのは、パリサイ人のことです。クリスチャンは、聖書のみことばを頂いて、そのみことばを一日心に抱いて過ごすのです。
キリストによってまったく変えられたいと、そう思う人を神様はきっと変えて下さるでしょう。
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