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礼拝にようこそ、主がどんなにお喜びくださることでしょう。
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クリスチャンとしてなら、
何か発信できるかもしれない。
自分の醜さを意識せず、苦しみも、怖さも、
感謝と喜びに変えて生きていけるかもしれない。
なぜかって?
主イエスは、すべてを許してくれるからです。
そしてあなたも・・・
もし、あなたがその苦しみを、
苦しんでいるんだと自覚できたなら、
その救いの道を、新たな自己改革との、
際限のない戦いに向けるかわりに、
イエスキリストを知ることに向けるならば、
もしかしたら、
あなたも救われるかもしれませんよ。

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生かされている事に感謝しなければ、希望は生まれないのではないか?
と思います。キリスト者としては、失格でしょう。どうしてくだらない野心や、恋心にこうも囚われてしまうのか、信仰者として(偽善者でもいい)少しは生きてみたいのです。だから、感謝できなければ、現実と想いとのギャップに絶望していくでしょう。
 絶望は死を呼びます。だから、現実に囚われず、結果に囚われず、感謝していきます。すべてに。神様、すべてに感謝します。主イエス様、すべてに感謝します。キリストの内在を信じます。私自身の力と、知恵と、喜びを凌駕して、あなたの力と知恵と喜びが与えられますことを信じます。

病者の祈り

大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

(ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩)
死は「終り」ではない  山川千秋・穆子 著  より抜粋。

辰吉は独特のプラス思考の持ち主でもある。
「真っ直ぐに人生のレールが敷かれていたら面白くないでしょ?
ボクが歩いている道は遠回りかもしれないけれど、遠回りにはそれなりの景色があるんですよ。誰も見たことのない景色がね。誰も行ったことがない、誰もやったことがない、それをやり遂げることにボクは大きな価値を感じているんですよ」
 
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